|
さて、では、「こころ」の病気の場合はどうでしょうか?
「こころ」の病気も病気ということにおいては、「からだ」の病気と同じです。しかし、「からだ」の病気と違っているのは、“病気だ”と判断するのに、困難を伴うことが多い、という点です。例えば、高熱が出たり、血が出たりすれば、私たちはすぐに病院へ行くでしょう。こうした「からだ」の病気の兆候は、目に見える形で、比較的はっきりと現れます。
しかし、「こころ」の病気の兆候は、というと、そうはいきません。「こころ」が病気になると、“気分がふさぐ”とか、“普段できていた仕事をこなせなくなる”とか、“感情の起伏が激しくなる”、“人間関係がなんだかうまくいかなくなる”といったような状態が生じてきます。周囲の人は、「なんとなく普段と違うなぁ」とか、「表情が険しいなぁ」といったように、違和感をもつことでしょう。しかし、こうした状態は、はっきりと病気の症状とは気づきにくいものです。
“病気”と気付かれにくい「こころ」の病気も、かつての「からだ」の病気と同じく、お説教やおまじないなどで治療がこころみられた時代がありました。
現在では、「からだ」の病気と同じように、「こころ」の病気も病院で医師が治療にあたります。そして、その治療の中心は、薬物療法になります。
しかし、いまだに、受診に結びつかないことがままあります。日本でも、数割の方は、病院へ行くのではなく、何らかの、「お説教」を受けさせに、本人を連れて行くことがあるようです。
また、受診に訪れる方の中にも、医師に「お説教」をしてもらうつもりでいらっしゃる方もいらっしゃるようです。つまり、「この子はいい年をして、家でごろごろしているばかり。怠けているだけだ」といったような思いをお持ちになっている場合もあるのです。先述したように、「こころ」の病気の症状が、一見、病気とは判断がつきにくいものであるがゆえに、起こってくる、誤解と言えそうです。
それでは、カウンセリング(もちろん、専門家によるカウンセリングは「お説教」とは異なりますが)はどうでしょうか?
カウンセリングは、ある程度、健康な方が、ご自分の生活上のさまざまなことを整理されたり、または、病気が回復過程にある方が、病気との付き合い方などを整理する場合に有効です。病気そのものの治療、といった意味では、薬物療法がまずあり、その補助的な役割を果たすものとして、カウンセリングがあると考えた方が良いようです。 |